ちょっと前に某携帯会社のCMで
「これはフェアトレードのバナナですか?」
(ナレーション)意識高すぎ◯◯君
というのがあったのを見て。
フェアトレードって言葉を多くの人に知ってもらえる機会ができたのは素直に喜びたいのだけれど。
「意識高い」という言葉の底にある意識
「意識高い」という言葉。
これを口にした人から「あなたはすごいよね。私はそんなことしないけど。」という無言のメッセージを受け取るのは僕だけでしょうか?
無意識に「あなた」と「私」の間に線を引いているような気がして僕はあまり好きではないです。
ただ、これを「私」にいわせてしまう「あなた」にも注意が必要だと僕は思うのです。
「あなた」も線を引いていないか?
僕はフェアトレードの活動をしているからか、
「普段、食べる野菜はオーガニック?」
「使っている器はフェアトレード?」
「来ている服はオーガニックコットン?」
とか聞かれることがあります。
答えは「半分YES、半分NO」です。
野菜はなるべくオーガニックを選びますが、全てがそうではない。
調味料だってなるべく無化学なものを選びますが、全てがそうではない。
器はフェアトレードのものを持っていますが、全てに使うわけではない。
服はなるべくオーガニックコットンを選びますが、全てがそうではない。
と答えるとたまに「フェアトレードの啓発をしているのに信じられない!」という人に出会います。
「その道のプロなんだから、自分が完璧を目指さないなんて矛盾だ」という信念があるのかもしれません。
うん。それは確かにそう思う。
でもその完璧を目指す姿が苦しそうなら、誰があなたに共感して「わたしもやろう」と思うでしょうか?
楽しそうでもストイックなら「わたしもやろう」と思う人が、どのぐらいいるのでしょうか?
その信念もまた「あなた」と「私」の間に「意識高い」という言葉と同じく、線を引いている気がするのです。
だから僕は友達と一緒に居酒屋へ呑みにだっていきます。
マクドナルドを食べたいという子がいれば一緒に食べます。(食べた後の体へのダメージは半端ないですが)
だって「僕、体に悪いものは食べたり飲んだりしないので」って断るのは、相手に気を使わせてしまうし、
かといって「そういう人とは付き合いません」っていうのは、それこそ矛盾でしょう。
「そういう人」にこそ、フェアトレードやオーガニックなどを知って、選んで欲しいのだから。
小松菜を無肥料無農薬で育てました。
虫食いだらけだし、小ぶりです。
農薬や化学肥料を使っているとはいえ、スーパーに並ぶような野菜をつくるのは大変なこと。
農家さん、まじリスペクト。
I am OK ! You are OK !
だから僕はいつだって
「I am OK ! You are OK !」(僕は僕でいい。君は君でいい。)
という気持ちで気楽に楽しく無理ない範囲で日々を暮らしたいなぁと。できてないけど・・・。
僕が楽しそうなら、お気楽な感じなら「わたしもちょっとやってみようかな」という気になってくれるかも。
これからも様々なことを発信していきますが、選ぶのは「わたし」の自由。
「あなた」と「わたし」を隔てる線がないからこそ、お互いが自由に行き来できる。
そこに共感というか相互理解というか、そういうものがあると信じているのです。