ひきこもり

一人呑みサイコー、という話。

移転先の一軒家から花火が綺麗に見えました。

今日で大工さんがおおよそ内部の施工を終わらせてくださって、あとは細かな作業を残すのみ。
それと膨大な塗装作業ね…(^_^;)

新拠点は既に「コブル庵」と勝手に呼んでいる人が多くて、ちょっと「庵」という言葉を調べてみると「いおり」と読んで

「僧侶が俗世から離れて静かに暮らす家」

という意味があるそうです。まあ、それくらい誰かが俗世の喧騒から離れて静かにゆっくり休みに来られる場所になればいいなと思います。

一人で呑みながら見る花火は綺麗だけれど、写真に撮るとこれほど野暮ったいとは。

一人呑みサイコーです。

一人でいることをネガティブに捉えがちな世の中だと思います。
「ぼっち」は寂しいとか、友達がいないとか、コミュ障なんてイメージが付き纏い、多くの人がSNSで自分の良い面を投稿していると思います。

ラインやメッセンジャーでいつも誰かと接続状態。
即レスを求められ、反応しないと除け者にされるといつも気にしている。
学校では「みんな仲良く」とずっといわれ続ける。

これ、なんなのでしょうね。
「一人でいること」は嫌だけど「みんなといること」でもつらい思いをしているんじゃないかなぁ。

気の合わない人とも喧嘩せず、かといって無理に仲良くしようともせず、ただそこに「共に在る」ことが大切。
学校でもそう伝えてあげてほしいです。

またゴータマ・シッダールタ様は

「貪りと怒りと愚かさを捨て、諸々のしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(サイ)の角のように、ただひとり歩め」

とおっしゃっています。
これが一人でいる、一人で在ることの大切さを伝えてくださっているのかはわかりませんが、僕はそのように解釈しています。

周りを気にせず一人で生きていくことは、誰かと共に生きていくことと同じように尊いことです。

「そんなの無理〜」という人は、まず町の定食屋さんに一人で食事に行くことから始めてみては?

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