先日、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営委員であるピースボート共同代表の川崎哲さんの講演を聞きに行ってきました。
被爆者の方の証言を聞く、自分に感じる罪悪感
被爆者の方や、戦争体験者の方の貴重なお話を聞くたびに「戦争に正義なんてなくて、自分たちの些細な幸せが無残に壊されていくだけなんだなぁ」と思います。
戦争のない世界を、まずは自分の周りだけでも実現できるようにできることから始めようと思うのです。
が、それと同時に被爆者の方や戦争体験者の方の話を聞くたびに、その感情に寄り添えない、悲しいとか切ないといった感情が湧いてこない自分がいました。
たぶん「知識」になってしまっているんですね。本を読むのとあまり変わらないのかもしれません。自分でも不謹慎だと思います。
そんな自分に罪悪感を感じていました。
でもちょっと考えてみると、戦争体験を聞く会などに若い人の姿がほとんど見られないのは、若い人たちのなかに「感情に寄り添えない」ということがあるのかもしれません。
そんな僕に川崎さんの話はスッと入ってくる
川崎さんはこんな内容の話をされていました。
「被爆者の方の貴重な話が聞けるのはこの時代が最期。そして話をきいても、失礼ですが100%受け止めることはできません(聞く側が直接体験をしたわけではないからという意味だと思います)。であればこれから必要なのは核を持つ、使用する、使用する国を援助、容認すること自体が違反であるという国際的な決まりをつくることで、被爆者の方の思いを残していくことです」
この話をきいて、僕が今まで感じていた罪悪感というか釈然としなかった気持ちがスッとなりました。
気持ちに寄り添うことがあまりできなかったとしても、思いを残すことはできる、残すお手伝いはできるということだよね、と。
自分にできることって何だろう?
じゃあ具体的に自分ができることってなんだろう? ICANとなると話が世界的で、およそ自分には遠い話です。
でもICANだって、それを構成する一人ひとりは一般市民。
だったらできることがある。
ということで、川崎さんはレベルごとにできることを教えてくれました。
・#YesICANをつけてSNSで今日の話を発信しよう
・原発メーカーに融資している銀行に口座を持っていたら、預金を移そう
・地元の国会議員の事務所に「なんで日本は被爆国なのに核兵器禁止条約に参加しないのか」ときいてみよう
すばらしい講演をきいても、聞いただけで満足することって結構ありますよね。
でも自分たちにとって良い社会、良い暮らしを求めるなら、自分ができることを、できる範囲でやっていきたいですね!