コーヒーパッケージには障害を持つアーティストさんたちのデザインを採用しています。
デザインを採用するにあたっては鹿沼市の障害者施設CCVダックのスタッフ様、栃木県内のいくつかの障害者施設でアート教室をされている先生、店主で何度も打ち合わせをしました。
「障害者アート」に潜む偏見
障害のあるアーティストの作品を「障害者アート、アール・ブリュット、アウトサイダー・アート」と呼ぶか、単に「アート作品」と呼ぶか。
それは「障害がある人の作品です」と知らせること(あるいは知らせないこと)で、どのようなメッセージを伝えたいのかによるのでしょう。
- 知らせる = 障害があっても、障害がない人と同様に(あるいはそれ以上に)能力がある など
- 知らせない = 障害があってもなくても、人はみんな個性があり、得意や不得意があり、平等である など
といった感じかな。
知らせた場合に伝えたいメッセージ「障害があっても・・・」は、「障害がある人はない人に比べて劣るのに、そんな劣る人がこんな素晴らしいことができるなんて凄い」という無意識の偏見を持っていないと成り立たない。
では知らせない場合のメッセージが良いのかというと、個人的にはそれもちょっと・・・と思う。「障害があってもなくても・・・」は、「障害がある人が抱える困難」「障害がある人が身近にいること」を見えにくくさせる。それもちょっと配慮に欠けた考えではないのかなぁ。
打ち合わせでは、この「障害」という背景をどう扱うかについて考えさせられました。ちなみに今でも結論が出たわけではなく、細かなパッケージの変更を繰り返して試行錯誤しているところです。
アーティストとして尊重する
パッケージに採用したデザインの使用料は誰がどれだけ受け取るのでしょう?
それを決めるにあたっては、アーティストとしての権利、障害をもつ人としての権利も含めて話し合いました。
もしアーティストのみなさんが個人で開業されていれば、使用料は100%アーティスト自身のもので良いでしょう。でも実際にはCCVダックのアート活動を通して生まれたもので、生まれるまでにはCCVダックのスタッフやアート教室の先生のサポートがありました。画材代などは全部CCVダックが負担しています。
そしてアート教室に参加されたみなさんもまた、アート教室の雰囲気作りに一役買っていると思います。楽しそうに活動しているみなさんを見ていると、素敵な作品は一人で黙々と描いていては生まれない、きっと描いた本人だけの作品ではないと感じます。
「そんな小さなこと言ってないで使用料は全額、本人に渡してあげればいいだろう」という意見もあると思います。でも一人で活動するアーティストだって、一つの作品を作り上げるには必ずなにかしらの経費がかかっています。少なくとも経費を差し引くのが、一人前のアーティストとして尊重することだとも思うのです。
喜んでくれる人がいる
今回のパッケージデザイン採用に関する一連の打ち合わせを通して、CCVダック様でも契約書の雛形を作ったこと、問題の論点を整理したことで、企業からのデザイン依頼を受け入れる準備ができたと思います。
当店としても、コーヒーパッケージがみなさまの目に触れることで「こんなデザインを採用して商品開発をしたい」と声をかけてくださる人が増えるよう、そうして障害のある人が社会で活躍できるようにサポートしていきたいと思います。
そしてなにより嬉しかったのは、障害のある人の親御さんがとても喜んでくださったことです。
それだけでも「やってよかったなぁ」と思いました。
コーヒーパッケージは主にイベント出店時にお目見えします。また贈答用などでの購入を希望される方は気軽にお問い合わせくださいませ。